主の恵みに囲まれて!ハレルヤ! 恵み深い主に心から感謝致します! 本日は、1000回記念礼拝の感謝会の場を借りて、GVICの歩みを共にふり返ってみたいと思います。    

私たちは1994年9月4日、日曜日、LAホーリネス教会の礼拝後に、敬愛します溝口先生や教友に囲まれ、祈っていただいて、永年お世話になったホーリネス教会を後にし、翌週の9/11にサウスベイの地区での第一回の礼拝を捧げさせて頂きました。早いものであれから19年、本日、ちょうど1000回目の礼拝を捧げることができました。その間の主の守り、恵を感謝致します。

一口に1000回と申しましても、心の中で雨や嵐が荒れ狂うことがあった中で、一日たりとも休むことがなく、礼拝を捧げさせて頂きました。信仰薄く、足りないづくしの私たちにとっては、奇跡というほかありません。弱くてどうしようもない、私たちのために、主は憐れみの手を伸べてくださり、愛する祈りの友や、先生方、多くの助け手を与えて下さったのです。ここまでこれたのは、ひとえに主の恵みであることを思い感謝で一杯です。今日、喜びを共にしていて下さる皆様のご理解と心からのご協力、ご奉仕、そしてお祈りがあったればこそ!と感謝は尽きません。   

神様は無から有を造られる方です。何もなかつたGVICも、今こうして礼拝堂が与えられ、サウンドシステム、台所等が備えられ、徐々にではありますが、一つ一つ整えられてきました。そういう神の恵みの中で、愛する教友と共に、    ”心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして神である主を愛せよ”    ”あなたの隣人を自分自身のように愛せよ。”   と言われる。命のもとなる主を崇め、愛して、お互いに励まし合って生かされているこの恵み、幸いを感謝せずにはおられません。   

さて、第一回目の礼拝はヒルトンホテル(今のダブルツリー)で行いました。私達の他にどなたが礼拝を共にして下さるかと期待とかすかな不安が心をよぎりましたが、以前、我が家で共に聖書の学びをした三羽ガラスの三人の友(川名さん、小野さん、今は天に召された真山さん)が奥様と共に、そして加藤ご夫妻や近所の方々が礼拝を共にして下さいました。

どんなに励まされ、力付けられたか知れません。それから4年間のホテルでの礼拝はどんなことがあろうと主に守られた楽しいものでした。大きなカートにスピーカー、キーボード、音響機材やOHプロジェクター、そして聖書や賛美歌などを積み込んで搬入しセットするのも仕事の一つでした。セットが済むと、私はホテルの入り口に備えた礼拝案内の傍で、ワクワクしながら礼拝に来る人を待ち、案内したものです。

娘たちには英語部LAホーリネスに続けて行くように勧めましたが、結局、ともに礼拝をするようになり、愛子はキーボードで伴奏をしてくれて助かりました。小さな群れでしたが、救われる魂が与えられ、主が共にいて下さって、和やかで心から主を崇めることが出来ました。この上ない喜びでした。   

四年後の98年には、「礼拝堂を与えて下さい」との祈りに主が応えて下さり近くのメシヤニック・ジューの会堂がレントできました。土曜日はユダヤ人が会堂を使用し、日曜日の早朝は中国人教会、その後11時から私達が礼拝を捧げるという恵みに与りました。会堂が週日にも使えるようになり、火曜日の午後一時から、野木村姉と共に二人で「聖書を読む会」をスタートし、現在、辻本先生の下に20人前後で学びを続けています。

それと平行して水曜日の夜と、祈祷会を開くようになりました。更に充実した活動ができるようになった最中に、2006年12月、「この建物は売却したいので2月13日までには移転するように」との通告を受けました。 再び、礼拝堂探しが始りました。主の導きで、当時還元水会社の倉庫(その前はパン屋さん)であつたこの建物が、オーナーの大城ご夫妻の配慮から格安のレントで建物を使用、通告ぎりぎりで1月28日に無事移転しました。

数週間かけて改築し礼拝にふさわしく整ってから、ほっとする間もなく、またしてもこの建物から立ち退かなければならなくなりました。建物が売りに出されたのです。折角の聖書の学び、祈祷会、諸集会の場所を失いました。私達は礼拝堂が与えられるよう再び祈りながら、4ヶ月後にこの場所からホテルに移ることのになりました。  

2007年5月に古巣のホテルに戻り、礼拝はホテル、SSの子供たちは大きな部屋のときは後方で、或いはホテルのホールを使用し、祈祷会は藤村俊次さんの”わんぱく塾”、昼間の聖書を読む会はトーランス市庁舎の図書室の小さな一室が与えられ、両集会とも休むことなく継続することができました。そのような時も、一同、心を一つにして感謝することができました。私達は再び、礼拝堂が与えられるように祈り始めました。   

神様の憐れみとまたオーナーの寛大な配慮でかつて使用した倉庫を買うことができ、再び、この場所に戻り、現在のように改装しました。2007年11月に購入を完了、早6年が経ちました。ところが、教会堂としての使用許可申請、増改築の目まぐるしい日々が続くなかで、トーランス市からの許可が難しいとの情報が入り、祈りに専念しました。

あのヨシュアが主の御声に従って、エリコの町を7日間廻って勝利を得たことに倣い、その年の8月11日から9月17日を”エリコの城壁期間”と定め、都合の付ける方々が集い、一日一回、六日間、そして七日目は七回、祈りを込めて、トーランス市庁舎の周囲を、廻ったものです。また、市との交渉で協力して下さる弁護士も与えられ2009年8月の最終公聴会では満場一致で教会使用の認可が下りました。公聴会に参加した私達は外に出るや全員飛び上がって喜び、主に感謝を捧げたものです。   

それからは誰はばかることなく、十字架を掲げることができ、多くの方々のご奉仕により会堂が整えられ、十字架の傍らには感謝記念に桜が植樹され、庭も会堂も一つ一つ整えられつつ進んでいます。今後はトイレの拡張改装、外側の、パーキング場の整備が残るのみとなりました。   

感謝のことに2010年9月に本日司会をして下さっているDavid 先生、明子夫妻が与えられ、念願の英語のミニストリーを開始することができました。 2011年6月には会堂の奉献式を感謝の内に迎えることができました。これからも日英両語のミニストリーがさらに祝され、神の僕に相応しく、清められ、整えられ、お互いに愛し仕え合い、つねに御声をかけて下さる主に従い、福音宣教のために捧げていきたいと願っています。

この建物は以前は普通のパン屋さんでしたが、今は命の泉の湧くパン屋さんです。多くの方々が日本へ帰国しました、また、八人の方々が天に召されて行きました。私達はこの世で、そして、神様の御前で再会できる希望に生かされています。   本日、くすしくも、次の2000回礼拝へむけての第一歩を、皆様と共に踏み出すことが出来たこと、心から主に感謝します。    

“主に感謝せよ。主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶える ことはない!”詩篇136:1 

アーメン!

前原睦子

神様はいつ、如何なる時も真実であられる。ということを救いと恵みの体験を通して分かち合いたいと思います。 私は終戦直後の焼け野原と化し、生活必需品である衣食住でさえ不足がちな沖縄本島南の半農半漁の寒村で生まれ育ちました。

何もない時代、小学校に入学した時など掘っ立て小屋の藁葺き校舎には床もなく机や椅子、教科書さえありませんでした。その頃、鉄の雨、蘇鉄地獄という言葉をよく耳にしましたが、それは当時の悲惨な状態を如実に物語っています。

揺れ動く激動の世界の渦の中に巻き込まれて再起さえおぼつかない沖縄でした。元来警察など必要のない長閑で平和な沖縄でしたが米軍の駐留と同時に民族間の複雑な事件や問題が多発し、政情、民心共に不安定で怒りや悲しみのやり場のない状態でした。

でも、神様は無力で小さな沖縄を見捨てるようなことはなさいませんでした。米軍の駐留と同時に多くの宣教師が続々とやってきたのです。やがて私たちの学校のすぐ隣にも教会が建ち、私も友人と楽しく日曜学校に出席していたのを思い出します。

教会へ行くと出席者カードにきれいな赤いマークをつけてもらえるのが楽しかったことと、賛美歌に自分たちで振り付けをして発表し合うのが楽しかったのです。

中学入学と同時に教会から遠ざかり高校卒業までぶっつりと教会へ行かなくなってしまいましたが、教会から頂いた文語訳の新約聖書が何故かこの上ない宝物のように思えて大切に大切に持っていました。

大学受験も済み、高校卒業が近付いてきた頃、源氏物語と聖書を入学前に読もうと思い立ちました。当時文学は人生いかに生くべきかを探求する最高の芸術だと信じていましたので、旧約の義なる神の前に縮みあがりながらも、新約では赦しの素晴らしい愛のメッセージになるほど聖書は世界の古典と言われるだけのことはあるなどと生意気な感想を持ったものでした。

大学在席中は勉強らしい勉強はせず、好きな読書に耽り乱読もいいところでした。そんなある日、人生を変えてしまうような本に出会ってしまったのです。それはトルストイの遺稿集の中に

“たとい人が全世界を儲けても自分の命を損したら何の得になろうか”

と言うマタイ伝16章26節を主題とした短編小説を読んだ時でした。それはほんとに衝撃的で強烈で、命と物という事について考えさせられました。もう40年も前の事で登場人物の名前や詳しい事は忘れてしまいましたが、内容は次のようなものでした。  

ある夕方一人の若者が、ロシヤの広大で肥沃な土地を見下ろすような小高い丘に座って物思いに耽っていました。
其処へいかにも裕福そうで善良そうな一人の老人がやって来てニコニコしながら若者に話しかけました。
 
「どうだ、この土地すごいだろう。この土地は私の物だ。肥えていて良い土地だが、使いこなせない。一つあなたと約束しよう。この土地に明日の日の出から日没までの間に1メートルおきに杭を打ち込んで囲むことの出来る土地はすべて貴方にあげよう。」

あまりのうますぎる話に若者は一瞬疑いの目を向けましたが、いかにも真摯そうで人のよさそうな老人の笑顔に安心して跳びあがって喜び、約束してしまいました。折りしも真っ赤に染まっていた太陽は地平線の彼方に沈み、赤銅色の空が灰色へと暮れなずんでいく、いかにも静かで平和な夕暮れ時でした。広大な土地が自分の物になる喜びで家にすっとんで帰った若者は寝る間も惜しみ、懸命に杭つくりに励みました。それは白々と夜が明けるまで続きました。

もうすぐ日の出です。出来あがった杭を全部丘の上に運び、日の出と共に杭打ちにかかりました。1メートル走ってはトントン、また1メートル走ってはトントン、さらに1メートル走ってはトントンと流れ落ちる汗を拭うのさえもどかしい程杭を打ち続けました。走っては杭を打ち、打っては走り、休むこともなくそれは日没まで続きました。
息も切れ切れに最後の杭を打ちつけたとき、おりしも、昨日と同じように真赤な太陽は地平線の彼方へ姿を消しました。若者は血の滲むような努力により見事に広大な範囲に杭を打ちつけることが出来ました。

若者は過労のため苦しい息の下から杭に囲まれた土地を見て満足し、事を成し終えた充実感でほっとするとどっと疲れが出てそこへしゃがみこむように倒れてしまいました。 そして、もう二度と再び起き上がることができなかったのです。  

たとい人が全世界を儲けても自分の命を損したら何の得になろうか、また、人はどんな代価を払ってその命を買い戻すことができようか。マタイ16:26  

私はあの老人が氷のように冷たい目をしてニタニタ笑っているような気がしました。すごいショックでした。以前に読み過ごしてしまった聖書の箇所が思い出されました。金持ちとラザロの話、金持ちと収穫そしてそれを収納するための倉とその晩に取り去られてしまった命等。“自分の為に宝を積んで神の為に富まない者はこれと同じである。”と言い切っています。全世界よりも尊い命;神に対して富んでいたら、あの若者は欲の為に命を落とすようなことはなかったでしょう。もしあの若者に本質を見抜く識別力があったらあの善良そうな老人の心の奥を見抜くことができたでしょう。私もそんな識別力、命が欲しい。

それからでした聖書を真剣に読み出したのは!聖書を読み進むうちに自分の罪深さをしらされ、その贖いのための十字架、そして復活のイエス様を信じて救いの確信が与えられて受洗しました。あれから私の側にはいろいろ問題がありましたがイエス様の愛は何時も変わりなく、恵みも充分でした。

いつも、どんな時も真実であられました。今でも至らない私は神様を悲しませてしまうような言行をしてしまいます。その度に義なる神様の怒りの炎は私の頭上で燃えるのですが、主イエス様のあの十字架のとりなしの故にいつもいつも赦され、恵まれ、守られて今日までやってきました。ほんとにいたらない私ですが、“今あるは主の恵み”と心から感謝してます。

 この喜びを日本人の方々にも伝えたいと願い日本人が住んでおられる方面に家が欲しいと祈っていましたら私どもの実力では天地がひっくり返って手にすることができないような素晴らしい家が与えられました。世的に考えると支払いのことが寝ても覚めてもきになるような額でしたが、神様が私どもに任せてくださった神様の家だと信じ、支払いのほうも神様が導いてくださると信じてやってきました。ですから私達は家を私物化することがないよう神様のために用いていただきたいと願っています。  

神様のなさることは無駄なく全て時に叶って美しい。戦後の悲惨な状況の中で宣べ伝えられた神様の御言葉は、沖縄の多くの人々をキリストへと導きました。意味も分からずに幼少の頃通った日曜学校も私を導くための神様の方法であったと今は確信を持って言うことが出来ます。  

“十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる私たちには神の力である” 第一コリント1:18

これからも神様に従順に従って歩んで生きたいと心から願っています。

前原睦子


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