人生の序破急
日本では「終活」という言葉が流行っている。人生の終末をどう締めくくるかということのようだ。私もその終末を迎えて自分の人生を回顧している。
私は生涯で4度,死から救われている。一度は幼年時代、生まれ故郷ハワイの海で溺れかけた ...
実践ある信仰
私は本欄8月、9月号において、日本の著名なキリスト教思想家、内村鑑三について触れたが、彼は奇しくも私の母校で教鞭をとっていたことがある。
メソジスト系ミッションスクール名古屋中学校(前身は創立1887年の名古屋 英和学校; ...
「西郷隆盛と聖書ー敬天愛人の真実」聖書を読んだサムライたち
先月の本欄で私は西郷隆盛に触れ、彼の座右の銘、「敬天愛人」にキリスト教に相通ずる精神性を感じると書いたがその後、偶然にも、「西郷隆盛と聖書ー敬天愛人の真実」なる本の存在を知り、早速日本から取り寄せた。今年1月に発行されたばかりで著者の ...
「敬神愛人」(Fear God and Love People)
私が通っていた名古屋のキリスト教系中学校の校訓(モットー)は「敬神愛人」であった。講堂正面の扁額に墨痕淋漓大きく書かれた4文字は少年心に深く彫まれた。長ずるに及んで、これと同じような言葉を明治維新の立役者、西郷隆盛が愛用していることを ...
聖書読みの聖書知らず
先月号の本欄で私は日本のキリスト教について触れ、クリスチャン人口の少なさを嘆いたが、翻ってその日本のキリスト教に私はどう関わってきたのであろうかと、自問自答している。日本の諺に「論語読みの論語知らず」という言葉がある。
儒 ...
⽇本で感じたキリスト教
沖縄での勤務を終えて転任した先は神奈川県座間基地にある⽶国陸軍本州基地司令部であった。渉外部⻑として本州各地に点在する⽶陸軍基地と周辺⾃治体との親善交流、防衛省/⾃衛隊との渉外業務が主な任務であった。
沖縄の時と同じように ...
第⼆の故郷での14年間
琉球⼤学での沖縄⽅⾔の研究は難しかったが離島巡りのフィール ドワークは楽しかった。そんな時に私が留学⽣として⽅⾔研究を していることが地元新聞に掲載された。
その記事を⽬にしたアメリカ⺠政府(沖縄統治機関)から連絡が⼊り、 ...
摂理のままに
1941年3月、沖縄に別れを告げて我が家は名古屋に移った。父の新任先は名古屋中央教会であった。私はメソジスト系ミッションスクールに転校出来た。
そして12月8日、ハワイ真珠湾攻撃には大きなショックを受けた。何故ハワイなのか ...
「沖縄での少年時代」(証4)
日米開戦の直前までの6年間、我が家はのどかな沖縄で過ごすことができた。私は天妃小学校に通うこととなったが、同級生の中には後に大学教授、デパート社長、海運会社社長、病院長、参議院議員になるような優等生がいた。
小学校時代の思 ...
「日本上陸と霊峰冨士」 (証3)
夏のハワイから太平洋に揺られること1週間、神様の力強い御手に守られて、日本郵船秩父丸は1934年9月北村一家を恙無く日本に届けてくれた。ハワイにいた頃、父母から聞かされていた富士山を目の当たりに見た時の感激は忘れられない。