私の父は74歳で召されました。三女の沙良が「おじいちゃんは天国でジーザスと遊んでるね!ママも天国へ行ったらジーザスと遊ぶの?」と可愛い質問をしてきます。父のことを思うたびに、あの父が天国にいるのだと思うと、感謝!感謝!感謝しかありません。

人間は偶然の産物ではなく、神様の作品です。それも、はっきりと目的を持って造られたのが私たちです。当然、私の父にも神様のご計画があるはずですが、父が母に優しくなったことで良しとする、救われただけで十分感謝でした。父のクリスチャンとしての働きは私が知る限り皆無なのですから。

父の葬儀は、教会にて行われましたが、会堂に入りきれないほどの人が来られました。殆どの方がノンクリスチャンです。教会に入りきれず外でのスピーカー越しで参列された方もありました。

地元を愛し、地域密着型の父は、たくさんの友人知人が与えられていたことを私は実感しました。その中に、現職の市長、市議会議員、元議員の方々から、神主までが葬儀に来られたのです。

おそらく、初めて福音を聞く方がほとんどであろうこの葬儀、しかし、皆さん、動く事が出来ず(笑)福音ズバリ!イエス様を信じた父の証を聞いたのです。まさに、伝道集会でした。

私と父ではもちろん神様の賜物が違うのですが、私は父よりも聖書を読み、聖書を学び、伝道について勉強し、実践しています。また弟子訓練の学びをし、弟子訓練をしています。

私のしていることを父がするというのは、無理があると思います。しかし、父には特別なご計画があり、それは私には到底できない、父にしかできないことでした。

私が死んでも、市長や市議会員は葬儀に来ないでしょう。まして、神主は来ません。父だからこそ、クリスチャンの葬儀に神主が来られたのです。最後の最後、あっぱれ、お父ちゃん!神様が大きく用いてくださったのです。

私たちは神様から目的を持って造られた被造物です。私にしか(あなたにしか)できないことがある。それは私たちの想像をはるかに超えた素晴らしいことのはずです。

今はそれが具体的にわからなくとも、神の作品として喜んで生きていく者となりたいと思うのです。

キム・明子
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