神の選びの教えは膨大なので今号は創世記に絞って学ぶことにする。創世記に人類史の原点があり、人間の罪が始まり、神の救いの計画が始まるからです。これらはいずれも神の主権の下にあり、神の主権は神の意思決定であり、神の選びも神の主権の下にあるからです。天地創造も人間の創造も神の主権の賜物である。

エペソ書1章4節に”みまえにきよく傷のないものとなるようにと、天地の造られる前から、キリストイエスにあってわたしたちを選び”とあります。神が貴方を私を選ばれたのは天地創造前である。オドロキです!

捧げ物の選び:

創世記4章を見ると、アダムとイブの長男カインと次男アベルの捧げ物の記録がある。捧げ物の話は4章で初めて取り上げられ、神はカインの捧げ物よりもアベルの捧げ物をよしと選ばられた。どうしてかと問われても、回答はない。それが、神の意思による選びなのです。

アブラハムの選び:

創世記11章26節から12章3節にアブラハムの父テラの系図とアブラハムを召す神の選びがある。12章1節に「時に主はアブラムに言われた、”あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい”」とある。神がどこでアブラハムにお声をかけたか、ステパノは使徒行伝7章でカルデアのウルであったと解説する。

その当時、異邦人と選民の区別もない時代、その時に、神は偶像礼拝の町ウルから、まだ神を知らなかったアブラハムを選び、選民の元祖(いい言葉でないが)となるように選び、召されたのである。アブラハムは、家族と共にウルからハラン、そこからカナンの地に移住、神の選びの民を神が選んだ地で天の星のように増やすことになった。それは、人類を救う神の一代計画を成就するためであった。アブラハムの選び、約束の地の指定は神の主権の下にある。

兄エサウを退け、弟ヤコブを選ぶ:

創世記25章23節に”、、、一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう”、とある。ローマ書9章のパウロの解説は”まだ子供らが生まれもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、わざによらず、召したかたによっておこなわれるために、、、”、とある。神の選びは、人間側の問題ではなく、何者にも拘束されない神の意思、自由に与えらるものである。確かに、贈り物は送る人の意思にあり、神の選びの中にある人は何と幸いであることか。

ヤコブは孫の長男マナセよりも孫の次男エフライムを祝福:ヤコブはエジプトに下り、最愛のヨセフと久し振りに再会、その感動は死しても代え難い心境であったであろう。ヤコブは臨終に臨み、孫を祝福するのであるが、次男のエフライムを長男のマナセに先立ち祝福する。ヨセフは父に長男マナセが先ですよと注意を促すが、ヤコブの意思は変わらない。ここにも、選びは身分、伝統、習慣によらず、選ぶ人の主権にあることがわかる。

最後に、紙面の都合上、選びの目的を箇条書きにし、次の機会に解説しながら紹介する。

1)選びは神の恵み
2)ふさわしく清く生きる
3)国籍を天に持つ

神の選びに預かる者はなんと幸いであろうか、”主の御名を呼び求める者は、すべて救われる” のです(ヨエル書2章)。

前原利夫


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