それからイエスはまた一つの譬を語られた、「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、 新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。 まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」 (ルカによる福音書5章参照)

イエスは三つの短い譬を話しておられる。

①新しい布切れは新しい布切れに継ぐ。
②古いブドウ酒は新しい皮袋に入れる。
③古酒は新酒に勝るという考えには偏見もある。

新しい布切れを古い布切れに継がない、また、古いブドウ酒は古い皮袋に入れない。

①、②の二つの例話は相容れないものを一つにする時の破壊的な結末、そして熟成したブドウ酒の美味さを失うことがないようとの警告です。纏めると、美味しいブドウ酒の入れ物は新しい皮袋が最高であると言うことであります。

さて、イエスはここで古い宗教的思想や考え方(ユダヤ教)とイエスの新しい教えとの調和を言っておられます。これまでの古い宗教的思想は古いブドウ酒のように味のよいものですが、弾力性のある皮袋であるイエスの新しい教えを入れものとしなさいと教えられます。

古い皮袋は弾力性を失い、許容力にも限界があるからです。古い宗教的思想を否定しませんが、その弾力性、メシヤ・キリスの到来という新時代には、視点を変えてキリストという器に変えなければならないのです。ポイントは従来の入れ物、器に革命的な変化が必要である点です。 即ち、これまでの宗教思想の弾力性、発想の許容力です。それがイエスの教えの中にあるのです。

例えば、旧約聖書の中では「歯には歯、目には目」という復讐法が正当化されました。 それは傷を受けた人がその受けた傷より以上に相手に復讐してはならないという「同等復讐」という点で優れていました。しかし、イエスが説く「汝の敵を赦せよ」という新しい教えからは、旧約聖書の教えは古い伝統的で改革しなければならない教えとなります。 イエスは

「一マイル歩けと言われたら二マイル行け」、

「下着を求める者には上着をも与えよ」

と完全な愛と赦しを教えられたからです。ここにイエスの福音があり、その福音の弾力性、許容力の大きさ、深さがあります。また、福音の深さとは神が私達の犯す罪、 過ちに対する赦しの寛大な処置であります。
 
人は伝統的物の考えに弾力性を見失うこと度々です。自我や積み上げられた慣習に固守し、また職場で毎日同じことを繰り返していると、環境の変化や周囲の人々の進歩に気付かない場合がよくあります。毎日同じことを考え、 やっているとそれだけが正しいとついつい思い込んでしまうものです。イエスはこの点を改革せよと指摘されておられるのです。

私たちが社会の変化に対応、否、時代の先取りをするためには発想の柔軟性、環境への対応性、器の許容力等、 イエスのこの譬から多くを学ぶことができましょう。

2010年の一日一日が、24時間という単なる時間の流れで無駄になることなく、一日一日の中に神の知恵とエネルギーが埋蔵されていることを発見していくチャレンジな年であるように・・。

前原利夫


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