「また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、 『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう。」 (ルカよる福音書15章参照)

ある女性が銀貨を持っていました。この銀貨はドラクマと言われ、それほど値の張る銀貨ではありませんでした、しかし文脈からして大変貴重で価値ある銀貨であることがわかります。

この女性は銀貨を一枚一枚バラバラに持っていたというよりも、 銀の鎖に10枚の銀貨を差し通して髪飾りとして使っていたと推測する人もいます。当時、このような髪飾りは、パレスチナの既婚女性のしるしで、結婚指輪と等しく大切なものでした。

結婚指輪を落として、探そうとしない人はおりません。また、あくどい借金取りでも、 このような髪飾りを返済にあてるように請求できなかったようです。 結婚指輪の価値はその支払った値段の高い、低いによって定まるのではなく、結婚を誓う二人の誓約のシンボルとして値ぶみのできないものです。

二人の生涯がこの誓約にかかり、 その誓約のシンボルがどんなに大切かは言うまでもありません。銀貨を失った女性はこの10枚の髪飾りにどれだけの犠牲を払って買い集めたか知りませんが、一枚たりとも失ってはならない貴重で取っておきのものです。子供の欲しい夫婦が10人の子供を持つ親に一人下さい、 貴方はそれでも9人いるでしょう、と言うようなものではありません。子を持つ親にとっては一人一人が高価な存在です。

さて、失われた銀貨の存在もそうですが、探している人は誰でしょうか。その人はパレスチナの暗い部屋を明かりで一杯輝かせ、部屋の隅から隅まで、くまなく探しています。

そして「注意深く」、「見つけるまで」とありますから、9枚も残っているからという考えなどは全くありません。 「チャリン」と音を立て、「キラリ」輝いて手元に戻る銀貨を探しているのです。一枚一枚が高価な銀貨なんです。その方はヤッキになって捜し続けています!  

聖書の別のヶ所に「人の子(キリストのこと)がきたのは、失われた者を探し出し、救うためである。」とあります。失われた銀貨を探すあの女性の姿は、神から離れた人を探す神の姿ではありませんか? 

たとえ私たちが暗闇の中にいても、どこか人知れぬ片隅にいたとしても、 神は貴方を、私を探し求めておられます。神は貴方を愛しておられるからです。心から。

前原利夫


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