使徒行伝2章の聖霊降誕に 再び新しい開眼!

使徒行伝は私の好きな書物で医者ルカが聖霊のみ業を時を追って残した「聖霊歴史書」です。ある人は「聖霊行伝」とも呼びます。書名どうり使徒、弟子、信徒たちの世界的な宣教の業を綴っています。その背後の大きな力は聖霊降誕に続く聖霊に満たされた彼らの信仰と働きでした。私は何十回と同書を読んだが、最近、新しい霊的開眼・理解を体験したので紙面の範囲内で幾つかシェアーします。

1. 聖霊降誕はコミニケーションの回復:

聖霊降誕はイエス様のお約束とヨエル書の予言の成就です。聖霊の降誕は定められた時にイエス様を信じた人たちに注がれ、聖霊を受けた人たちは霊的な大きな宣教の業を進めていきました。これは一般論であり、また使徒行伝の中心テーマでもありますが、聖霊降誕の記録を読み返してみると、こんな言葉があります。

「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、、、」。

ここに聖霊に満たされた人たちが最初に体験したことは「他国の言葉を語りだした」ことです。即ち、自分の知らない言葉を自由に語り出したというのが聖霊の注ぎを受けた人たちの不思議な体験でした。更に、「天下のあらゆる国々」とあり、続く節では14, 5ヶ国から言葉の違う人たちがエルサレムに集まりました。当時、同時通訳のない時代、しかも多くの言語の障壁を取り除いて、一つの言語で理解せしめたのはこの聖霊降誕でした。

2. バベルの塔はコミニケーションの崩壊、創世記11章

人々はシナルの地(ユフラテ川に沿った町)に天に届くバベルの塔を建て始めた。この天にそびえる塔の建設はかなりの建築技術が発達してのことであろう。300フィート(約100メートル)の高層建物で、人間は自分たちの功績を誇り、塔は自分たちの栄光を誇るためであった。神のみ名を称えるためではなく、神を押しのけての記念塔であった。11章はこう記録します。

「、、そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのをまぬがれよう」。

この人間の言葉の中に二つの罪があります:神に対する傲慢、そして神の命令に対する反抗です。神は「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と言われて地上に広がることを命じられた。しかし、シナルの人は人々をシナルの地にとどめようと反対を目論んだのです。神はそのことを罰せられ彼らの言語を混乱させられた。即ち、コミニケーションの混乱、破壊である。バベルの塔はコミュニケーションの破壊、使徒行伝の聖霊降誕はコミュニケーションの回復と言えよう。

人間の罪はコミニケーションが原因でよく引き起されます。お互いのミスコミ、誤解、非理解、偏見、差別などはコミニケーションに発するものが多いです。エデンの園でサタンは微妙な言い方でエバを誘惑します。エバとアダムが神に言い訳するのも微妙に擦り合いの言い分です。

聖霊降誕はこれまで破壊されたコミニケーションをメシヤの登場によって回復し、新しい神の国に相応しいコミニケーションを打ち立てるということではないか。それはイエス・キリストを信じる者たちがやがて一つの標準言語を話すという終末のさきがけであるかもしれない。

もう一点、目が開かれたことは聖霊降誕は使徒行伝の中心テーマである1章8節がそのときに初めて成就したと理解できる。神は使徒たちの手で中心テーマが完成する前に、ご自身がさきがけて完成させたということです。また、2章以下続く、弟子たちの宣教活動の証ともなりモデルともなったと理解できよう。(本件はいずれの機会に取り上げよう)
 

私たちも聖霊様の注ぎに満たされて歩みましょう。

 

前原利夫


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