イエス様を信じた時、私は25歳。(今思うと若かったな〜と思うのですが)もっと早くイエス様を知りたかったよ!と、とても強く思いました。それほど、イエス様との出会いは、人生を変える素晴らしいものだったからです。

私はサービス業の会社で、マネージャーをしていましたので、仕事のスケジュールが割と自由にできた上に、クリスチャンになった半年後には、会社の社長夫人がイエス様を信じ、続けて社長が信じ、会社の従業員の方も救われていき、会社のラウンジには、賛美歌が流れるようなるという、奇跡のような、素晴らしい環境で働いていました。

清掃係をしていたおじさんがイエス様を信じた時、おじさんも嬉しい思いが抑えきれなかったのでしょう。仕事が終わると、ラウンジに来ては聖書のことやイエス様のことを私に話しに来ます。ある日、私がいつから信仰を持ったのかと聞いてきましたので、答えると。

「あ〜!やっぱりそうですか。今のお顔はとっても柔らかくて嬉しそうですけど、以前のあなたは、馬鹿にされるものか!と肩に力が張っているように見えましたから。」というのです。

おじさんからの悪気のない一言でしたが、「気配りがあり、笑顔で優しいマネージャー」と自分では思っていたので、とっても恥ずかしいやら、赤面でした。

確かに、「仕事で馬鹿にされてはいけない」と思い、「家の問題で仕事に迷惑をかけない」と気をつけ、いつも元気に振舞っていました。仕事で分からない事は、夜遅くまで会社に残って勉強しました。

しかし、孤独を感じ、ストレスを感じ、しっかりしているように見えても、買い物三昧、ゴルフ三昧。そういう事ができる自分に、いい気になっていた頃でした。(現実逃避をしている父を見下げていたのに、形は違っても私も同じでした。)

イエス様を信じることを、「新生する」と言い、また信仰を持って生活し成長することを、「聖化する」と言います。

イエス様を信じてすぐに神様は職場を祝福してくださいました。幼い私の信仰は、その職場と、教会の往復で心が解放され、喜びが生まれ、育っていくのです。

実際に、家族のためだけに祈っていた私が、会社のために祈り、従業員のために祈り、お客さんのために祈り、朝に晩に礼拝メッセージを聞いて仕事に励む生活へと変えられていくのです。(続く)

キム・明子

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