天に宝を

退屈な話と聞きほれるような話の大きな違いは、そこに「たとえ話」、「イラストの例話」等があるかどうかです。私も教会でメッセージの務めが多くありますが、適切な例話があるときの話とないときの話では、聞く人たちの反応が違います。 メッセージの準備で一番の苦労は「いい例話」を組み込む作業です。

新約聖書にはイエスのメッセージ(説教)が沢山紹介されていますが、その殆どが「たとえ話」に結び付けています。美しい自然、身近な生活環境、習慣、価値観を基に組み立てられたイエスのたとえ話は実に絶妙です。’ それ故に、イエスは超一流の説教者であったと言われます。

オバマ大統領も巧みな話術で相手候補に勝利しましたが、イエスの足下にもおよびません。さて、ここ数回「イエスのたとえ話」を紹介致しますが、今月は天国のたとえ話です。

天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 (マタイよる福音書13章参照)

天国は宝のようなものであると言いたいのですが、ここでイエスは“畑に隠してある“と、当時の奇妙な習慣を担ぎ出します。「畑に宝を隠す」、この言葉は当時のパレスチナの人々にはすぐ理解出来たことですが、時代、文化の違う私たちには想像も出来ない、聞きなれない表現です。

昔、ラビ(ユダヤ人の宗教家)たちは、「お金を貯える唯一の安全な場所は大地である」と考えました。今は、お金を預ける安全な場所は銀行ですが(昨今は安全でもありませんね)、ユダヤ人にはそれは大地、地下、畑でした。パレスチナは地理的な状況から、 歴史的に戦場に巻き込まれる危険性が高く、貴重品や宝を家の中や裏庭に保管することは大変危険でした。

こんな話を聞いたことがあります、「ユダヤ人の家では、非常時に備えて、それぞれの家族が誰にも知られないように、自分の貴重品、お金を隠す」、と。

天国は宝、 「宝は人の魂」とも解釈できます。宝や魂が盗人や強盗に襲われる危険にさらされてはいけません。安全な場所を確保することが賢明です。「喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてそれを買うのである」とありますから、この人は自分の畑を耕していたのではありません。

この人は、誰かが(地主か、隣人か)畑の中に宝を隠してある筈だ、だから意図的に宝探しを試みたのです。幸い、見つかったので自分の所有物を全て売り払い、この畑を買ったとういうのです。これは単に、不動産売買、先を見込んだ投資や宝探しの話ではありません。

「天国という宝」、「天国という自分の魂」を最上の価値あるものとして、それを贖いとる(買い取る)、 即ち、自分の魂を一番大切にしなければならないという真理が隠されています。 人は全て遅かれ早かれこの世とお別れしなければなりません。この地上の生活は束の間です。イエスは天国という素晴らしい永遠の国を貴方に提供しようと、このたとえ話を語られたのです。

前原利夫


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