神様はいつ、如何なる時も真実であられる。ということを救いと恵みの体験を通して分かち合いたいと思います。 私は終戦直後の焼け野原と化し、生活必需品である衣食住でさえ不足がちな沖縄本島南の半農半漁の寒村で生まれ育ちました。

何もない時代、小学校に入学した時など掘っ立て小屋の藁葺き校舎には床もなく机や椅子、教科書さえありませんでした。その頃、鉄の雨、蘇鉄地獄という言葉をよく耳にしましたが、それは当時の悲惨な状態を如実に物語っています。

揺れ動く激動の世界の渦の中に巻き込まれて再起さえおぼつかない沖縄でした。元来警察など必要のない長閑で平和な沖縄でしたが米軍の駐留と同時に民族間の複雑な事件や問題が多発し、政情、民心共に不安定で怒りや悲しみのやり場のない状態でした。

でも、神様は無力で小さな沖縄を見捨てるようなことはなさいませんでした。米軍の駐留と同時に多くの宣教師が続々とやってきたのです。やがて私たちの学校のすぐ隣にも教会が建ち、私も友人と楽しく日曜学校に出席していたのを思い出します。

教会へ行くと出席者カードにきれいな赤いマークをつけてもらえるのが楽しかったことと、賛美歌に自分たちで振り付けをして発表し合うのが楽しかったのです。

中学入学と同時に教会から遠ざかり高校卒業までぶっつりと教会へ行かなくなってしまいましたが、教会から頂いた文語訳の新約聖書が何故かこの上ない宝物のように思えて大切に大切に持っていました。

大学受験も済み、高校卒業が近付いてきた頃、源氏物語と聖書を入学前に読もうと思い立ちました。当時文学は人生いかに生くべきかを探求する最高の芸術だと信じていましたので、旧約の義なる神の前に縮みあがりながらも、新約では赦しの素晴らしい愛のメッセージになるほど聖書は世界の古典と言われるだけのことはあるなどと生意気な感想を持ったものでした。

大学在席中は勉強らしい勉強はせず、好きな読書に耽り乱読もいいところでした。そんなある日、人生を変えてしまうような本に出会ってしまったのです。それはトルストイの遺稿集の中に

“たとい人が全世界を儲けても自分の命を損したら何の得になろうか”

と言うマタイ伝16章26節を主題とした短編小説を読んだ時でした。それはほんとに衝撃的で強烈で、命と物という事について考えさせられました。もう40年も前の事で登場人物の名前や詳しい事は忘れてしまいましたが、内容は次のようなものでした。  

ある夕方一人の若者が、ロシヤの広大で肥沃な土地を見下ろすような小高い丘に座って物思いに耽っていました。
其処へいかにも裕福そうで善良そうな一人の老人がやって来てニコニコしながら若者に話しかけました。
 
「どうだ、この土地すごいだろう。この土地は私の物だ。肥えていて良い土地だが、使いこなせない。一つあなたと約束しよう。この土地に明日の日の出から日没までの間に1メートルおきに杭を打ち込んで囲むことの出来る土地はすべて貴方にあげよう。」

あまりのうますぎる話に若者は一瞬疑いの目を向けましたが、いかにも真摯そうで人のよさそうな老人の笑顔に安心して跳びあがって喜び、約束してしまいました。折りしも真っ赤に染まっていた太陽は地平線の彼方に沈み、赤銅色の空が灰色へと暮れなずんでいく、いかにも静かで平和な夕暮れ時でした。広大な土地が自分の物になる喜びで家にすっとんで帰った若者は寝る間も惜しみ、懸命に杭つくりに励みました。それは白々と夜が明けるまで続きました。

もうすぐ日の出です。出来あがった杭を全部丘の上に運び、日の出と共に杭打ちにかかりました。1メートル走ってはトントン、また1メートル走ってはトントン、さらに1メートル走ってはトントンと流れ落ちる汗を拭うのさえもどかしい程杭を打ち続けました。走っては杭を打ち、打っては走り、休むこともなくそれは日没まで続きました。
息も切れ切れに最後の杭を打ちつけたとき、おりしも、昨日と同じように真赤な太陽は地平線の彼方へ姿を消しました。若者は血の滲むような努力により見事に広大な範囲に杭を打ちつけることが出来ました。

若者は過労のため苦しい息の下から杭に囲まれた土地を見て満足し、事を成し終えた充実感でほっとするとどっと疲れが出てそこへしゃがみこむように倒れてしまいました。 そして、もう二度と再び起き上がることができなかったのです。  

たとい人が全世界を儲けても自分の命を損したら何の得になろうか、また、人はどんな代価を払ってその命を買い戻すことができようか。マタイ16:26  

私はあの老人が氷のように冷たい目をしてニタニタ笑っているような気がしました。すごいショックでした。以前に読み過ごしてしまった聖書の箇所が思い出されました。金持ちとラザロの話、金持ちと収穫そしてそれを収納するための倉とその晩に取り去られてしまった命等。“自分の為に宝を積んで神の為に富まない者はこれと同じである。”と言い切っています。全世界よりも尊い命;神に対して富んでいたら、あの若者は欲の為に命を落とすようなことはなかったでしょう。もしあの若者に本質を見抜く識別力があったらあの善良そうな老人の心の奥を見抜くことができたでしょう。私もそんな識別力、命が欲しい。

それからでした聖書を真剣に読み出したのは!聖書を読み進むうちに自分の罪深さをしらされ、その贖いのための十字架、そして復活のイエス様を信じて救いの確信が与えられて受洗しました。あれから私の側にはいろいろ問題がありましたがイエス様の愛は何時も変わりなく、恵みも充分でした。

いつも、どんな時も真実であられました。今でも至らない私は神様を悲しませてしまうような言行をしてしまいます。その度に義なる神様の怒りの炎は私の頭上で燃えるのですが、主イエス様のあの十字架のとりなしの故にいつもいつも赦され、恵まれ、守られて今日までやってきました。ほんとにいたらない私ですが、“今あるは主の恵み”と心から感謝してます。

 この喜びを日本人の方々にも伝えたいと願い日本人が住んでおられる方面に家が欲しいと祈っていましたら私どもの実力では天地がひっくり返って手にすることができないような素晴らしい家が与えられました。世的に考えると支払いのことが寝ても覚めてもきになるような額でしたが、神様が私どもに任せてくださった神様の家だと信じ、支払いのほうも神様が導いてくださると信じてやってきました。ですから私達は家を私物化することがないよう神様のために用いていただきたいと願っています。  

神様のなさることは無駄なく全て時に叶って美しい。戦後の悲惨な状況の中で宣べ伝えられた神様の御言葉は、沖縄の多くの人々をキリストへと導きました。意味も分からずに幼少の頃通った日曜学校も私を導くための神様の方法であったと今は確信を持って言うことが出来ます。  

“十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる私たちには神の力である” 第一コリント1:18

これからも神様に従順に従って歩んで生きたいと心から願っています。

前原睦子


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