私の人生において、イエス・キリストを神として信じることは、心の癒しの始まりでした。心が元気になる、喜びが溢れるという経験はもちろんですが、今まで気がつかないでいた私の「痛み」「罪」を見せられ、そこに神様が臨まれるという経験です。

自分の痛みと向き合うということは、時にとても難しく、認められず、受け入れ難いものでした。しかし、それでもその問題と向き合うとき、神様が私の背中を守るように押してくださって癒しのステップへと進むのです。

クリスチャンになって2年が過ぎ、私はワイアム(Youth With A Mission)のスイス校にいました。この学校では、DTS(Disciple Training School) 神様との個人的関係を深く学びました。

当時の私は、イエス様を知った嬉しさと、宣教師になりたい!という思いでいっぱいでした。そういう元気な私に、初めのステップ、「痛み・罪」へのお取り扱いが始まるのです。

ある日の授業、「父の愛」というテーマに大きな木の下に座っての青空教室でした。

スピーカーの先生が言います。

「あなたの心の中に建ててしまっている壁はなんですか?」

「もし、あなたが建ててしまっている壁があるなら、それをあなた自身の手で打ち壊さなければなりません。」

「今しばらく、あなたの心の壁が何であるのか、父なる神様に聞いてみましょう。」

もう一度言いますが、私の心は、クリスチャンになった喜びで、ルンルンでした。家族の問題はあるけれど、私自身に問題があるとは思えませんでした。ですから、もう心の壁は打ち壊されているし、この祈りはあまり自分には関係がないと思いました。

しかし、祈った瞬間に私の心に高い壁が建てられているのが見えました。この壁は何でしょう。私が父との間に建ててしまった高い壁でした。

「おとうちゃんだ。」胸がズキンと痛みました。

それは、小さい時から私が父に建ててしまっている壁。怖い壁。話しても理解されない壁。怒りの壁。馬鹿にしている壁。情けない壁。悲しい壁でした。この高い壁と向き合うことは、私にはできない、これだけは無理!と思いました。

まずいことを神様に言われてしまった!と思いながら部屋に帰り祈りました。怖い、面倒臭い、向き合えない、父に理解してもらえるなんてありえない。無理だよ、、、しかし、神様が私の背中を優しく押されます。もっと祈ってごらんと。(続く)

Comments are closed.

Post Navigation