第5回

  

  惇子牧師が亡くなる数日前から、オレンジカウンティのホスピスに移られていました。
 その頃からお別れの為に、面会のチャンスがあり、友人達も交代で伺えたのです。NYから息子さんご夫婦もいらしていました。
 ご主人の田畑牧師も看病疲れが重なっておいでの頃でしたので、私が交代しようと思い、家族の早めの夕食の準備をしている時に、「今、神様に召された。」との連絡があり、片手に携帯電話、片手に車のキィと持って、すぐにホスピスに行くつもりが、腰がぬけて動けなくなってしまい、丁度仕事から戻った主人が一緒にLAからオレンジカウンティにドライブしてくれました。運悪く、フリーウェイ5で大きな事故があり、通行止。下道を廻り道していた時です。途中のどの辺か、未だに見当がつかない行き止まりになっていた道の突き当たりのお家が、何とひまわりだけ咲かせた庭だったのです。他に一切の植木や花もなく、とにかくひまわりだけ庭中に咲かせた不思議な家でした。惇子牧師はひまわりの花が特別に大好きな方でした。後日、もう一度このお宅を確かめたく探したのですが、とうとう行きつけませんでした。それからやっとホスピスに着き、ファミリー以外どなたもいない室で、かなりの時間、惇子牧師と二人だけの時が持て、とても静かな平安の以前のままのお話が出来、悲しさも感じない程の何とも言い表せないすばらしい時間でした。数ヶ月もの入退院生活でしたのに、いつもの穏やかな安らかなお顔でしたし、うらやましいくらい静かなやさしさにあふれておいででした。  亡くなる数日前に私が「天国へ行ったら、一番先に何をしたい?」って伺ったら、「イエス様のひざに座りたいわ」って幼子の様にかわいらしく言われました。私はその様子を思い浮かべて、今頃きっと・・と想像して“やきもち”をやいている日々です

第4回

皆様 明けましておめでとうございます。
“エクレシアセブン”の続きですが、新春からとても辛い出来事を記さなければなりませんが、悪しからず07年の12月の事ですが、思ってもみなかった事が起こりました。その頃から惇子牧師の咳が続き、メッセージ中も苦しそうでした。普段からお元気で病気なんて全然経験されたことのない方でしたのですが、色々と咳に良いとされることを試されたり、病院通いもあちこち続いたのですが、ますますおつらそうな状態となり、何を試されても効果なく、とうとう末期ガンを宣告されたのでした。
 私達は丁度ハワイに住むおばが95歳になり、私の介護疲れの骨休めと兼ねて、ハワイへ滞在中のことでした。片や95歳でとても元気。そして惇子牧師は60代の若さでのガン宣告!!どうこの現実を受け止めてよいのか、パニックになってしまいました。
 それからが大変でした。あらゆる治療を一切受けずに、ありのままを受け入れると申される本人。少しでも何とかしたいご主人の田畑牧師。一進一退に皆で祈るしかありませんでした。それでもやっと受けたキモセラピーで50%良くなったり、後たった3週間の命と宣告されたりと大変な日々でした。いよいよ礼拝のメッセージもご無理となり、田畑牧師お一人で乗り切ったのですが、その間、段々とお声も出にくくなり、メモや田畑牧師の伝言でのやり取りが続き、とうとう“エクレシアセブン”も閉じる事となってしまいました。始めてからたった7年目の決断でした。その頃シェアさせて頂いた韓国教会も、本国のご事情により閉じることになり、とても辛い時期でした。最後の日は、沢山の方々が集まって下さり、そのお一人づつに身の廻りの品々を配られ、8月の3日、あっけなく召されたのです。
    ・・・・では又、 来月に・・・・

第3回

いよいよ今年最後の月となりました。クリスマスらしいお話と思いましたが、“エクレシア セブン“の事をもうしばらくお付き合いください。
母のパーキンソン病が少しづつ進行して、私の渡日介護も、時には数ヶ月から半年ごとと慌しい数年が過ぎました。その間、日本の介護の資格を取ったり、行政の事などを学んだり、身内の末期ガンを看取ったりと、今思い返しても神に守られていたからこそと感謝の日々でした。
子供達は独立して他州に住んでいましたが、私の渡日中は、主人が一人ぼっちになってしまうので、LAに住む兄夫婦の隣に住まいを移していました。当時はガーデナの韓国教会をシェアーさせて頂いての礼拝でしたが、母国語しか話されない牧師さんのお母様が、私達の事をいつも熱心に祈ってくださり、よく合同の交わりをして、身振り手振りで温かく受け入れて下さった事、いまだに忘れません。
“エクレシアセブン”は再婚教会とか、ジーンズ教会と私は呼んでいました。牧師夫婦をはじめ、何組もの再婚カップルがあり、それぞれに話題を共有したり、皆様仲良しでとても和やかでした。
 私と惇子牧師は互いに大切な友人でありましたが、牧師と信徒のけじめ以外、着る物のサイズと好みが一緒で、特にジーンズで出来た服が大好きなので、ちょっと誉めるともう次の週にはクリーニングされて私の元に届きますし、私の服を気に入れば、同様にあちら流で着こなして下さいました。何度、こうして同じ服が行ったり来たりしたことでしょう。礼拝には、こうしてドレスコードもなく、普段着のままでと言うことで、私はジーンズ教会と呼んでいました。惇子牧師は、このかっこうのまま、どこへでも行かれて批判されたりされたそうですが、彼女らしいと私は思っていました。 
 ・・・・ではまた 来月に。 *よいお年を*

第2回“私の洗礼の時”

さて、今月は、私が洗礼を受けた時のお話です。私は私の為に祈っていただく心地よさは大好きなのに、私ほど祈りの下手な人はいません。欲張りすぎて、何だか本来の祈りの主旨がどこかへ飛んでしまうのです。
いつも自分であきれています。
  エクレシア セブンにお世話になって間もなく、惇子牧師から「啓子さん、そろそろ洗礼を・・・」と言われたとたん、とても素直に「はい」と返事を致しました。それまでは色々な方から熱心にお誘いを受けていましたのに、まだまだもっと深く学んでから等と思っていましたので、自分でも驚いてしまうほどでした。
 02年3月末の寒い朝、惇子牧師の元で沢山の方々の祝福の中、バプテスマを授かりました。思いがけない友人、遠くに住む知人等々、惇子牧師の御尽力で、あちこち連絡してくださったのでしょう。ハレルヤ!!
 当時すでに義母は亡くなっていましたが、熱心な仏教徒でしたし、義兄はガーディナ仏教会の理事でした。大きな村上ファミリーの中でも、クリスチャンは数少なかったのですが、主人も気持ちよく祝ってくれたのが、何より嬉しかったです。クリスチャンになって、何かが変わったか自分では改めて意識しませんが、いつも神に守られている事の感謝は一層深く強く感じて今に至っています。 前回申しましたように、実母の介護で渡日して、こちらへ戻る度に、教会の兄弟姉妹が増えてゆくのは喜びでしたが、たいていの教会も多少同じ様な事情を抱えておいでの様に、お貸り出来る場所がしばしば替わるのが大変でした。
惇子牧師はいつも、神がお決めになる事ですからと申されておいででしたが、さぞご苦労だったと察していました。・・・・では又、 来月に・・・  

第1回 導き

イラスト昨年10月末からGVICにお世話になっています、村上啓子と申します。山内師がご病気なので、 私がピンチヒッターとしてしばらくの間、このコーナーを担当することになりました。 どうぞよろしく!! まず今回は、私がクリスチャンになった折のお話です。聞いてください。 仲良しの友人である田畑淳子姉が02年に牧師となり、“エクレシア セブン”と言う教会を始めるのに、当時は二人ともオレンジカウンティに住んでいましたので、礼拝の場所を郡内であちこ ち探しましたが、なかなか見つからず、やっと以前、淳子牧師の絵の師であるガーディナの八島太郎氏のアトリエを お借りできることになりました。氏はすでにお亡くなりになっていましたが、お宅を守っておいでの方とたった3人 のスタートでした。いくらカリフォルニアとは申せ、2月の寒い時期のことで、母屋を使いなさいと言われましたが、アトリエ内で厚着をしての礼拝でした。アカペラでの賛美でしたが、その寒さがなんとも心地よく、聖書の御言葉の 点と点がすこしずつ線となるのが嬉しくて楽しく学んだのが今も素晴らしい思い出です。 私は、主人が16人兄弟の一番下ですし、皆、アメリカ各地に住んでいますので、よく集まりますので、忙しい上 に、私らしく過ごすことは難しいと思っていましたが、主人や家族の協力で、日曜日の礼拝のおかげでしょうか、 一週間がとても充実して過ごせたものでした。且つ、その数年前から、実母の介護の為に年に数ヶ月ずつ渡日致して いましたので、熱心なクリスチャンとは申せませんでしたが、渡日中も近くの教会で、学びのチャンスもあり、 神にいつも守られていたのを実感していました。
では、皆様また来月に…