森田のりえ

ロンダニーニのピエタ

洗礼の朝を迎えた。まだ迷っていた。イエスが十字架にかかって人々の罪を償ったと信じているの、と自分の心に棲む、もうひとりの自分がささやく。かぶりを振る自分。だとすると、受洗は神さまに対する欺瞞だ。